教誨について思うこと

教誨師

教誨(きょうかい)とは、教えさとすことをいうとあります。

よく似ている言葉としては、教戒(きょうかい)がありますが、こちらの方は、教え戒めることを言っています。

二つの言葉の違いは、「誨」(知らない者を教えさとす)と、「戒」(いましめ。さとし)の違いです。

教誨とは

私は、教誨師(道徳をわきまえた正しい品性。道徳心。道義心)をつとめています。

受刑者の方々の心の育成と安定を目的として、山口県の岩国市にある女子刑務所で月に一回ほどお話をしています。

女子刑務所

女子刑務所は、全国で11施設あります。

受刑者の数は、2000人弱で、全体に締める割合は約10%です。

全国的な特徴としてあげられるのは、過去に受刑歴がある人が約半数を占め、65歳以上の高齢受刑者が増加傾向にあるということです。

ホント、職員の方々は、介護も含めて世話をされ大変です。
 
罪名は、窃盗と覚醒剤取締法違反だけで80%以上を占めています。

その中でも高齢受刑者の方は、85%以上が窃盗により何度も入所する女子刑務者の存在がうかがえます。

一本のローソクの炎
一本のローソク

そのような受刑者の方々に接し思うことは、癖や性格は変えることはできるのだろうか、ということです。

三つ子の魂百まで」幼児の性質は、一生変わらないという諺がありますが、性格は直らないものであろうか?変わらないものであろうか?

彼女たちと接していると、そんなことをぼんやりと考えてしまうことがあります。

そしてそこには、生きる上でのなにか大きな宿題があるように感じています。

性格は、変わる

「性格とは、りんごの芯のように固い(不変の)部分と、果肉のように環境要因などで大きく変容する(可変の)部分の両方から成り立っている」と、定義されていたりします。

そこから考えていくと…人生の中で何度となく繰り返される悲しみや不幸、そして、その要因としてあげられるギャンブル、異性問題、金銭問題など。

その躓きの元となるものは、果肉となる部分(環境要因で大きく変容する)から来ることが多いのではないでしょうか。

そうすると、生きていく上で幾度となく出合う分岐点。

その分岐点上で知らず知らずに選び出していく方向性、歩み出した道というものは、環境要因により導き出された進路であることが多いということなのでしょう。

一本のススキ
ススキ

もしも…あの時。
という事をふと思い浮かべることがあります。

もしも、あの時間がずれていたなら。

あのとき動かなかったなら。

あの人と出会わなかったなら。

飲まなかったならば。

そして、もしも…自分が、流れる日常に満足と安らぎを覚える性質であったならば。

良き手を差し伸べる

私たちは過去を振り返る時。
様々な場面で分岐点があったことに気づきます。

知らぬ間に進んでいる道の途上で、いま正に小さな岐路に立っていると気づかなかった場合、概ね私たちは何度も何度も、もう少し大きな分岐点を迎えなければいけなくなります。

たくさんの人が分岐点で立ち止まっている。

悩んでいる。

そこへ善き手を差し延べ、適切な言葉を掛ける人がいれば、その人の人生は大きく変わっていき、善き方向へ、波風の立たない確かな道へと導かれると思います。

思い悩んでいる人、図らずも深淵へと落ち込んだ人、そうした人へ手を差し延られる、そのような人を探し出せる教誨師でありたいと思っています。

まとめ

教誨師をつとめています。刑務所に入ってくる人の罪状は、さまざまです。高齢化も進んでいます。

良き方向へと導いていく一助として、月に一回教誨をしています。

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ABOUT US

コッキー
◇こんにちは! コッキーです。  山口県岩国市に住んでいます。 (1957年2月14日生 63歳)  岩国は、名酒の産地としても有名ですよ。 ◇10年前に妻を癌で亡くして以来、未婚です。 ◇ボランティア活動として教誨師などをしています。 ◇家族構成は、母、私、息子夫婦、孫が生まれました。5人です。  4世代同居です。今の時代にすごいことだと思います。  そうした生活のなかで、楽しいこと、悲しいこと、面白いこと、悩む  ことなどを。  母の認知症は、少しずつひどくなってきました。  そうしたことを紹介するとともに共有できたらと思います。    モットーは、責任をもって陽気な一日を