女子刑務所でのお話

コラム

教誨師のつとめの中には、定期的な教誨(だいたい月に一回)と不定期に依頼される新人(新しく入所された人)研修というのがあります。

教誨は自由参加

定期的な教誨は、受講される方々の選択によるもので、ほかの学習をしたいと思えばそちらを受講できる自由な選択となっています。

一方、新人研修はその月に入って来られた方の研修であり選択の余地はありません。

新人研修にも、様々な年齢の方々が来られます。

お年寄りの方、若い方、国籍も違うこともあります。

そのように入所してくる人たちのなかには、何故このような人がと感じるようなこともあります。

そうした方々にお話しをさせていただきながら思うことは、刑務所内にいる人と外にいる人、我々とどのような違いがあってこのように状況が変わっていったのだろうか、という疑問がふと浮かんでくることがあります。

我慢

我慢には、二つあるといいます。

一つは、欲求から動きたいという衝動があっても、我慢してやってはいけない場合。

もう一つは、動きたくなくても、行いたくなくても、我慢してでもやらなければならない場合。

彼女たちは、一つ目のやりたいという欲求があっても我慢しなければならない、そのやってはいけないという我慢の意識が薄れていったのだろうかなとも思います。

もう一つの動きたくなくても、我慢してでもやらなければいけない状況には、私たちもたびたび日常のなかで出くわします。

それは年齢にも性別にも関係なく、なんども起こってきます。

そのような我慢してでもやらなければいけないことを気楽に乗り越える方法は、一つには、そこに目標をしっかりと入れ込むと良いといわれています。

そのようなことを、変わらぬ日常生活を送る彼女たちに話しています。

と、同時に、つい目標というものを年齢と共に失いがちになる自身に言い聞かせています。

繋がるツタの葉

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