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学校で習ったフランシスコ・ザビエル。
それにちなんで、ザビエルと濁音して呼びそうになりますが、施設名としてはサビエルと濁らないのが正式だそうです。
サビエル記念聖堂は、正面から見て左右に聖堂の二階へとつづく緩やかな坂道があります。
しかし、こちらから入るのではなく、一階のあまり目立たない入り口から入ります。
入りますと、すぐ前に100円以上の拝観料を入れる箱がありますので、そこへ入れて拝観ということになります。
入ってみてちょっと驚いたのですが、写真撮影はオッケーです。
ただしストロボは、禁止です。

差がでるのは当たり前ですが、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のひとつ、長崎の大浦天主堂では、もちろん撮影は禁止でした。
そうしたことを知っていましたので、サビエル記念聖堂では、少し拍子抜けもしましたが、逆に熱心な撮影者は、ステンドグラスに差し込む光加減を長い時間を掛けてシャッタチャンスを待っていました。
ステンドグラスを通して差し込む光は、淡く、刻々と映像を変えていく様を見つめるのは、心落ち着く時間の流れでした。
フランシスコ・ザビエル
ザビエルは、1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名です。
カトリック系ですので、神父です。
神父の「神」は、精神や心といった意味だそうです。
欧米では、普通に「父」といった呼称になります。
一方、プロテスタント共同体では、「牧師」といいます。
語源的には、羊飼い(信者を導く)といった意味になります。
ザビエルは、平戸に置いていた献上品を携え、再び山口を訪れました。

1551年、当時その地を治めていた大内義隆に再謁見。
それまでの経験から、貴人との会見時には外観が重視されることを知っていました。
そのため献上品には、インド総督とゴア司教の親書の他、望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃など大変高価なものであったといわれています。
眼鏡
ちなみにザビエルは、初めて日本に眼鏡を持ち込んだ人物といわれています。
これらの品々に喜んだ義隆は、ザビエルに宣教を許可します。
信仰の自由を認めました。
次いで、当時すでに廃寺となっていた大道寺(跡地は、サビエル記念聖堂より離れたザビエル公園にある。)をザビエル一行の住居兼教会として与えました。
クリスマス
これが日本で最初に教会が建立された所、また初めてクリスマス(教会で歌ミサが行われ、日本で最初のクリスマスが行われた。)が開かれた場所でもあります。
ザビエルはこの大道寺で一日に二度の説教を行い、約2ヵ月間の宣教で信徒数は、約500人になったといわれています。
ザビエルは、1549年に種子島に漂着し、宣教活動は多くの国に影響を与えました。
その数は、17カ国におよんでいます。
記念聖堂では、毎日午前7時から午後9時までの間、15分ごとにカリヨンの鐘が鳴らされます。
市民に時を知らせる調べとして旧聖堂の時代から親しまれています。
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