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「死にゆく人の心に寄りそう」著者は、玉置妙憂氏。
名前が示す通り僧侶でもあり看護師の方です。夫の死を在宅看護で看取り、後に高野山真言宗にて修行を積み僧侶となりました。現在は、現役の看護師として、また院外でのスピリチュアルケア活動を続けています。
夫の死を看取るまでの刻を医療従事者の立場から見つめ、その後は宗教者としての立場からも見つめた一冊です。
私の妻は、10年前に50歳で亡くなりました。直腸癌が見つかったのは、その5年前でした。
そのあいだ手術を繰り返し、入退院を繰り返し、抗がん剤治療の連続でした。
いま思えば、もっと早く死の間際に人が直面するいろいろなことを知っていれば、妻の苦しみも希望も少しは叶えることが出来たのかもしれない、と思うことがあります。
そのようなことにたいする想いを書いている本でもあります。
死に近づいていくとき
体と心にはどのような変化が起こってくるのでしょうか。
死の3ヶ月前くらいから起こることとして、食欲がなくなり、痩せていく。眠くなり、うつらうつらとした状態が続きます。
このような状態が続いていくであろう死の3ヶ月前、私は妻と息子と3人で旅行にいきました。
わずか1泊2日の近場での旅でしたが、抗がん剤を投与することもできない、何もできないと宣告をされた半年間の半ばのことです。
妻は、この半年間のうち3ヶ月間くらいは、非常に元気でした。
このまま癌細胞は消えて、元の体に戻るのではないだろうかと思うほど、元気な日々を過ごしていました。
家族の思いは、最後の最後まで希望を持っています。
死の間際
死の間際に起こることは、目が半開きになって涙がでることがあります。と、書いています。
血圧が低下して、筋肉が緩んだために起こる現象だそうです。
この涙は、残された者にとっていろいろな想いを抱かせます。
それは、亡くなっていく人の年齢によっても大きく受け取り方が違います。
私にとっては、妻がジッとこちらを見つめ流した涙の想いは、時とともに変わっていっているのです。
最後は、呼吸が止まります。
興味深い文章で、また僧侶としての境地から書かれているように思います。
『止まるときは、息を吸って亡くなるケース、息を吐いて亡くなるケースの両方がありますが、私が見てきた限りでは、息を吸って亡くなるケースが多かったように思います。生まれるとき人は、呼吸筋で肺を押して息を吐くところから呼吸を始めます。生まれたとき「オギャー」と言うのは、息を吐いているわけで、人は息を吐いて生まれ、息を吸って亡くなるのです。息を引き取るとはよく言ったものです。』
人は、一人であることを知る
死を身近に感じて、自分を見つめ直すために「デス・トライアル」と言うプログラムを行うことがあるそうです。
聞いたこともあると思います。やったこともあるかもしれません。
自分が大切だと思うもの、ジャンルを超えて数十個ほど書き出してみる。
そこには、お金や不動産、お酒、家族、妻、夫、子供、いろいろなものが書き出されていきます。
そして静かに、真摯に、自分の価値観、大切なものに触れていきます。
最後に残ったものは三つ。
「もう死が訪れるときがきました。二つ捨ててください。」何を最後に残しますか?
いつも多いのは、男女を問わず「お母さん」だったそうです。
もちろん答えは、ありません。
私もこのプログラムをやったことがありますが、自分を見つめるということで、大切なことなのだと思います。
本書には、このように書かれています。
デス・トライアルで自分の死を実感することが、自分が着地点への過程にいるという自覚につながるかどうかは、わかりません。
ただ、自分にとって何が大事なのかを考えることで、これから先それを意識して生きることができるとすれば、少しは意味があるのではないでしょうか。
いつか着地する地点に向かって、どれぐらいそのプロセスを充実させられるかが、大事なものを意識することで違ってくると思うからです。

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