無常・生滅流転を感じて

線香花火の明かり
線香花火
コラム

これからのコラムは、十数年前から「編集後記」として書いていた文章です。

無常」世のはかなさ生滅流転、仏語です。

妻が亡くなり、私は年齢を重ねていき、いろんなことを見聞きしているうちに、うっかりしているとその言葉に引きずり込まれそうになることがあります。

そして、知らないうちに引き算をしている自分に気づかされることも多くなりました。

引き算

妙な癖がついた。

あらかたの年齢から現在を引き、残りを出していく。

少々のことには目を瞑り、おおむね事なかれ主義で捉えてみる。

自分の生き方に対してももちろんのこと、他人への見方に対してもそのように感じることがある。

他人の欠点は、出来るだけ見ないようにしている。

心が広くなったのでも、欲が無くなってきたのでもない。

そのような、いずれは皆…という見方をするその癖は、良いところもあるのだがやはり違うように感じる。

足し算

ある時、書をたしなむ人と出会い会話をする時間があった。

彼は言う。上達は、継続し弛まない努力を続けていると、右肩上がりに進んで行くと思いがちである。

しかし、現実はそうではない。

平坦な道がずっと続く、しかもその道はデコボコであったり山が聳えていたりする。

その道を飽きもせず、投げもせずやり続けていると、ふと一段越えた道に辿り着く。

そして、また平坦な道が続く。

ずっと続く。

広いひろい階段のようなものである。

しかし、それを抜けると、また新たな喜びを見つけることができる。

私達の人生も引き算ではない。

あくまでも足し算である。

足して、足して、出来る限り足してみる。

そして最後に、その行いを次へと持ち越していくのである。

繋がるツタの葉

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