あふれる情報の中

鮮やかに彩る 花火
コラム

最近つくづく思うことですが、私たちの周りは、非常に多くの情報であふれかえっています。

それらはテレビ、新聞、インターネット、雑誌などを媒体として耳目にはいってきます。そして、それらのニュースは、何度もなんども繰り返されることによって脳に刷り込まれていっているような感じさえしてきます。

無意識のうちに多かれ少なかれメディアに左右され、また私たちも聞きやすいこと、受け入れやすいことだけを脳の内に選り分け吸収していきます。

確証バイアス

確証バイアスという言葉があります。

それは、今までの人生の中で積み上げた常識、価値観よりも主観的な固定観念の方が優先されてしまうというバイアス(偏り、偏見)だそうです。

ある本の中では、例として「学歴が高いほど優秀である。

という固定観念を持っている人は、『実際の人材の資格・能力・実績』が高くても、その人に学歴がなければその能力を認めることがない。

という確証バイアスを伴うことになる。

また、こうしたことは『日本は全て正しい・他の近隣諸国は全て間違っている』といったナショナリズムの世界観や歴史認識でも働きやすくなる。

自分が信じている価値観・世界観を否定する主張や内容に対しては、初めから無根拠で間違ったものだとみなして、耳を塞いでしまうか強く反発してしまう。」という説明をしています。

日常生活の中

もし、これが日常生活の暮らしのなかに入って来たならば、どういう状況になるのでしょうか?

差し詰め、自分の行動・考えだけを正当化し、他者の動きを考えない、見ない、認めないという状態なのでしょうか。

こう考えてみると、うっかりと陥りがちになっていることであるのかもしれないとも思います。

自己批判の余裕

この偏見な判断・選択を誤らなくするためには、「自分の持っている常識・価値観を疑うことができるような『自己批判の余裕』を持つこと。

『結論ありき・好き嫌いありき』になって、他の人の意見や中立的な情報が耳に入らなくなると、確証バイアスによって間違った判断をするリスクが高まってしまう。

それを抑えるためには、『自分や賛同者以外の意見』を意識的に聞くようにすること。」が有効であると書かれています。

一度、真っ白くリセットして考える必要があるのかもしれません。

繋がるツタの葉

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