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「知能」と「知性」の違いは、このように定義されています。
知能は、答えのある問いに対して、早く正しく答えを見いだす能力のこと。
学校で一度はやったことのある知能検査などで、たくさんの問題をいかに早く正確に答えることが出来るか、その能力のことを知能と呼んでいます。
知性
一方の知性は、答えのない問いに対して、その問いを、問い続ける能力。
そして、簡単に見つからない問いに、諦めず問い続ける能力のことを知性という。
これではちょっと分からない説明になりますが、人生の「穴」に落ちた時に、パニックにならず慌てず、周りの人に八つ当たりをすることもなく、「どうすればこの穴から這い上がれるだろう」と冷静に自分の頭で考えられる力、それが知性であると言っています。
今回のコロナウイルスによって、未来はどうなっていくのだろうかと思ったりもします。
知能の代表格である人工頭脳(AI)は、これから25年後、2045年に全人類の知能を超え、飛躍的な上昇線を描き未知の世界へ入っていくとされています。それまでの緩やかな上昇から、飛躍的な上昇を遂げる分岐点となるわけです。
シンギュラリティ、2045年問題です。
その時、その未来は、AIの監視によって瞬時に感染者を割り出したり、あらゆる事務職、またロボコップというような警官も必ず活躍をするような未来になるような気がします。
そして多くの職業は、特化されたロボットに、また人間に近い自己制御や自省を行うことが出来るアンドロイドに取って代わられていくといわれています。
その時代の流れは、大都会だけに起こるものではなく、瞬く間に地球規模的に変革を迎えるのではないだろうかと思っています。
不安と期待が交錯した近未来には、どのようなことが待ち受けているのか分かりません。
磨く
しかし私たちは、そのような時代を迎えるときこそ、もっともっと個々に根ざした落ち着いた知性を磨くしかないのではないだろうかと思います。
「知性の磨き方」の著者・斎藤孝氏は、
知性を磨くには、「 誰か、手本を決めて、その人の思考が分かるくらいになるまで、その人の著作を読み、自分が何かを考える時、その人の思考を借りなさい。」と言っています。
偉大なる知性を少しずつ治め、人としての道を歩んでいく。
そこに精神の安定があるのかもしれません。

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