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著者は、『嫌われる勇気』(古賀史健氏との共著)を書かれた岸見一郎氏。
実際に父親を介護された視点から、また研究されているアドラー心理学にもとづいて、介護者の立場からどうすれば介護の負担が軽くなるのか、そして介護を必要とする親との関係を良好に保てるのかを書いている一冊です。
将来、もうそこに来ている5年後には、団塊世代の人たちが75歳以上の後期高齢者になります。
3人に1人が65歳以上の高齢者という社会が到来し、医療や社会保障の問題などが叫ばれている2025年問題です。
親の介護だけでなく、夫婦間での介護の必要性が生じるかもしれないというような時代を迎えます。介護とは、そうしたことを考え合わせると決して他人事ではないような気がします。
介 護
この本では、圧倒的に介護する側からの視点で書かれています。しかし、強引に三つに分けて紹介したいと思います。
・介護する
・介護される
・これからの介護 です。
その前に、よく言われよく聞く言葉に、介護と育児との違いはどのようなところにあるのでしょうか?
もちろんどちらも大変です。
しかし、介護の方はちょっと大変だし難しいよね~、でも育児だったらいいのにね、とか言ったりします。
ついその言葉だけを聞いてみると同列に考え、そうだよな~とか思ったりしますが、この二つには、大きな違いがあります。
そしてその違いが、介護の根本を突いているように思います。
育児と介護
育児というのは、妻にかなりの負担を強いてしまったな~という思いは拭い去ることはできませんが、3人の子ども達を育てている最中は、日々の成長に目を細め、大きな喜びを感じていました。
昨日できなかったことが今日はできるようになったという喜び、また明日への希望を持ちながら共に過ごしていました。たしかに育児の苦労というのは、子どもの成長によって報われていました。
しかし、親の介護はどうでしょう?
日々失われていく記憶、体の衰え、そうしたことを身近に感じながら世話をしていくことです。
介護は、いつまで続くのか分からないのです。認知症です。と診断され、
家族にとってはいつまで続くか分からない介護がはじまるのです。
著書には、「介護はずっと続き、その意味で、介護は育児と違って出口が見えないというわけです。
しかし、これは本当でしょうか。出口は本当は見えているのです。
ただ「いつ」その出口に到達するかが見えないだけです。
出口とはいうまでもなく親の死です。
ですから出口が見えないのではなく、出口を見てはいけないと思っているのが本当です。」このように説明しています。
親の死と介護からの解放という大きなジレンマにぶっつかります。
こうしたことが、介護する側の根幹の苦しみにあるのではないかと思っています。
子育ての目標が自立であるならば、介護の目標はどこにおいたらいいのでしょう?
自立でしょうか?
90歳近くになった親の姿は、何度でも同じことを聞き、何度も同じことを繰り返す。
夜昼が逆転し、朝に眠る。
そんな毎日の繰り返しですが、変わらない日々を目指し、そうした日々を過ごせていることを喜ぶことだと思えるようになってきました。
ありのままの親を認めることができるようになりました。
介護される側 これからの介護
このブログを始めた切っ掛けは「母の介護」を書いてみようと思ったからです。
介護される側、これからの介護についてまとめています。
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