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心理学の三大巨頭といえば、フロイト、ユング、アドラーの三人です。
そのうちの一人、アルフレッド・アドラーは、オーストリア出身の精神科医・心理学者で、この著書は、「アドラ-心理学」と呼ばれている思想を著した本です。
本当に興味深い課題が随所に散りばめられ、おもしろく読めた一冊です。
三つに分けて紹介していきたいと思います。
青年がアドラー心理学を研究した哲人の家を訪れ、対話形式で物語は始まっていきます。
『原因論と対峙する目的論』
トラウマを否定します。
例えば、「あなたが苦しんでいるのは、過去に親から虐待を受けた。だからそのトラウマから抜け出せないままに、現在の引きこもりがある。」
昔、このような大変なことがあったから、今の自分は仕方ないよね、といった原因論を否定します。
そうではなく、逆に「あなたは、引きこもっている今の状態のままでいたいがために、過去を持ちだして現在を肯定している。」これが目的論です。
続いて、このように言っています。
「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについてなんの影響もない。自分の人生を決めるのは、『いま、ここ』に生きる自分。」であると。
自分の人生を歩むのは、紛れもなく自分自身である。
今の自分があることを誰に責任を擦りつけるのでもなく、どこへ責任を転嫁するものでもなく、自分の人生は、自分がこれからも歩むという真摯な潔さを感じます。
『すべての悩みは、対人関係にある。』
対人関係の悩みは、なぜ生まれてくるのか?
その悩みは、劣等感から解き明かされるといいます。
劣等コンプレックスというものは、努力や成長といった健全な手段によって補償する勇気がない人は、他者への安直な攻撃という手段によって補償しようと考える、それはあたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸ている、と説明しています。
これは周りの人を見回してみても、当てはまる人が一人や二人はいると思います。
自分の能力や努力の足りなさを他者への攻撃としてすり替えていく。いますね~、そういった人。
そのような厄介な人間に目を付けられると、大きなおおきな対人関係への悩みへと発展していくということでしょう。
その解決方法として、「相手が自分の思うとおりに動いてくれなくても、怒ってはいけない。それが当たり前なのだ。」と言っています。
自分に都合よくは、反応してくれない。
しかし、それは当たり前のことである。
自分にできる事は、「変えられるもの」と「変えられないもの」の見極めであるともいいます。
良好な人間関係を築いていければいいのですが、関わるすべての人が、自分と良好な関係を築けるとは考えられません。
相手の心も行動も変えられません。
変えられるものは、自分の心だけです。
その心の持ち方が、次にあげる課題の分離へと続いていくのだと思います。
『課題の分離』
誰の課題であるのかを見分ける方法は、シンプルであるといっています。
「その選択によってもたらされる結末を、最終的に引き受けるのは誰か?」ということを考える。
そうすると課題の分離がみえてくる。
親子関係の子どもにたいする接し方もそうであるといいます。
責任から逃れるわけでもありません。
あくまでも「子どもが窮地に陥ったとき、素直に親に相談しようと思える信頼関係を築いていこう。」と、思っています。
しかし、このような考え方で生きていくと随分と楽になったような気がします。
また、今まで他人の問題にたいして、いかに多くの時間を割き、浮かんでくる思いに悩まされていたのかを気づかされました。
いろいろな場面で出くわすことは、相手の課題であることが本当に多いのです。
人生の意味はなにか? 人はなんのために生きるのか?
ある人からこの質問を向けられたとき、アドラーの答えは、
「一般的な人生の意味はない。」
その後、続けて
「人生の意味は、あなたが自分自身に与えるものだ。」と、言っています。
そして、自分自身に何を与えるのか?
それは、他者貢献であると答えています。

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